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2007年1月の9件の記事

2007年1月31日 (水曜日)

金刀比羅宮:円山応挙

前回の日記(地中美術館:サイトスペシフィック)の
最後にも書いたが、
通常サイトスペシフィックと言う場合、
前提としてアーティストが関わる以前に、
既に歴史・記憶を持ち、形を持った場所があり、
それに対してのアプローチとして作品が作られ、
設置される事を指す。

地中美術館のようにアーティストが、
建築から何から何までアーティストが関わって制作が
行なわれる事は非常に稀な事である。

クリスト&ジャンヌ=クロードの特定の場所、
(マイアミ付近の湾に浮かぶ11の島の周りの海や、
ポン・ヌフの橋、ドイツの国会議事堂など)を梱包したり、
カーテンをかけたりした行為は、それぞれの場所を、
観念によって浸食する事で作品足ろうとする、
サイトスペシフィック作品であると言えるだろうし、
ランド・アート、アース・ワーク、
それからパブリック・アートもまたこの名で語られる。
つまりサイトスペシフィックとは極めて広義の
ぼんゆありとした言葉なのだ。

---------------
直島に行った明くる日、金刀比羅宮へ行く。
長い階段を延々と昇り、各文化施設
(実際にはそのほとんどをタイミングを逸し
観れなかったのだが)、
鈴木了二の金刀比羅宮プロジェクト等を鑑賞。

建築そのものはもちろんであるが、
その中で、表書院を飾る円山応挙(1733〜1795)の
障壁画もまた、サイトスペシフィックな作品、
建築に帰属する性質を持った絵画と言える。
90枚全てが国の重要文化財に指定される
江戸中期に制作した応挙の代表作。

その全ては襖絵であり、実際に表書院の広い各部屋に
設えられていたわけだが、鑑賞者は各部屋を繋ぐ、
長い縁側のような渡り廊下からガラス越しに、
4〜6メートル離れたそれぞれの空間を眺める。

「遊虎図」に描かれた虎のコミカルで
多様な表情は、否応無く観客の視線を引きつけ、
それは時間を止め、瞬間、その周囲、部屋全体に、
湿度を伴う、どろっとした重い
大きなうねりを体感させる。

そして「山水図」は、アメリカ抽象表現主義、
カラーフィールド・ペインティングの作家、
クリフォード・スティルのように画面(襖)、
いや、観客の網膜をぶった切る。

ガラス越しに見ていたせいで、
ほとんどボックスアートを見るような形でしか
鑑賞する事は出来なかったわけだが、
しかし、これらの薄暗い自然光に照らされた障壁画は、
近代的な「絵画」というよりも、
むしろ古代洞窟壁画のような、観るものの共振を強要する、
原初的な体験の場として、その佇まいを見せていた。

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2007年1月30日 (火曜日)

地中美術館:サイトスペシフィック

1

地中美術館はモネ、デ・マリア、タレルという
一人の歴史的巨匠と二人の同時代のアーティストに、
サイトスペシフィックな場を与えた美術館として
2004年7月に誕生した。

作家の要求に即して建造されたその内部空間は、
そうした特定の作品の為だけに用意されたというだけでなく、
紛れもなくその空間自体が体験的な作品として
成立しているかに見える。

私にはそもそもサイトスペシフィックという言葉を
どのくらいの言葉として解釈し、
使用するかという事に躊躇があった。

自身の作品が、それを展示する場というものを
意識しつつ制作され、かつ、
展示空間なくしては成立し得ぬ展示形態を、
昨今、基本にして考えを進めていた事から
来るものである事は疑い用のない事である。

もっと言えばその言葉に少なからぬ
個人的な期待があった為に見失っていた部分、
過剰に意味を付加していた事を
認めなくてはならない。

サイトスペシフィックな空間。
サイトスペシフィックな作品。
実際には、これらの言葉に一般的にそれほど特別な意味はなく、
ただ「作品と建築(特定の場所)が一体化した空間」、
くらいに捉えるのが妥当であり、
「作品=設置空間(建築)」という図式が成り立つ
状況の事を指すと考えるのがわかりやすい。

そうした状態とはどういう意味を
持ちうるのかといった議論には発展すれど、
表現の一形式として、他のものと並列関係に
あると言っていい。

しかしそれだけであれば、アーティストが
莫大な資金を得て、自由に使えるマテリアルが一つ
増えたというだけにしかならない。

もちろんそうしなくては表現出来ない何かというものが
あるという事は、今回地中美術館を訪れて、
しっかと身体に染み込ませる事は出来たわけだが、
何か釈然としないものが残るのは、
モネの部屋における絵画と、絵画の為にと
設えられた真っ白く崇高な部屋との関係性に
あるのかも知れない。

2

絵画を見る為に一番適した環境とは
如何なるものだろうか。

絵画にもいろいろある。
ベラスケスのように筆致を最大限に生かし、
描かれる対称がどっしりとした存在感を讃えながらも、
その均質な薄塗りの絵の具故に、
光の加減でさーっと全てのキャンバスの
目が美しくその姿を現す様態のものもあれば、
それこそモネのように絵の具の立体感までもが
色彩の内に計算されているかのように、
それが描かれたものであるという現実を
あらわにする事で、鑑賞者を絵の具、筆致と共振させる
ところに絵画としての現象・イリュージョンを
成立させるものもある。

一見普遍的ともみえる絵画という形式の中でも
様々な表現方法と、それに見合う設置環境があるという事は
誰しも異論の余地はないだろう。

もちろん地中美術館でのモネ室では
オランジェリー美術館や、様々なモネの残した
書簡を下敷きに、慎重に「モネの絵画」の為の
部屋が構築されたことには違いない。
また、モネ自身も、サイトスペシフィックな
展示空間を所望していた事は、
最晩年、円形の空間に展示する事を前提として、
一連の睡蓮シリーズが描かれた事からも、
確かな事実である。

しかしながら地中美術館でのこの空間を
サイトスペシフィックな空間と呼ぶ事は出来るかも知れないが、
絵画の矩形の力は思った以上に強烈であり、
表現を行なっているのはキャンバスそのものに
他ならないわけだから、空間自体を作品と
呼ぶ事は不可能なのではないかという気がする。

反面、如何なる場所においても絵画は展示された場所の
影響を受けない事はない。
どんな絵画も鑑賞者が出会った場、美術館、邸宅、
特有の見え方をするのは、自明の事である。

そう考えれば、どんな状況化においてでも、
場所は作品を演出するサイトスペシフィックな空間であり、
また、作品は場所を演出するサイトスペシフィックな作品であり、
その展示された場所はサイトスペシフィックな作品と
呼ぶ事も可能であるように思われる。

つまり如何なる物体であろうとも、設置される空間なしで
物体足り得るという事はあり得ず、物体がある限り、
それは空間をその物体は変容させている事は、
どんな場合に置いても言える事なのである。

そうした地点から眺めた時、地中美術館のモネ室を
あえてサイトスペシフィックと呼ぶ意味は風化する事は
言うまでもない。

さらに言えば、デ・マリアの
「タイム/タイムレス/ノータイム」のように
その部屋自体が作品化し、最初に言ったいわゆる
サイトスペシフィックな作品/空間である状況、
つまり完全に「場=作品」となった所で、
そこでは「作品が置かれた場」という意識は、はぎ取られる。

ではそうなった所で、作品にとって、
設置されるべき場とは消失したのだろうか。
サイトスペシフィックな作品とは、
純粋に作品が自律した状況なのだろうか。

それとも観客は部屋自体を作品と見なすわけであるから、
作品が置かれた場というのは、
「場=作品」と化した時点で、
もっと大枠の場、すなわち美術館のその部屋に至るまでの
通路だとか、美術館のある土地、に、転換するに過ぎず、
言わば巨大なボックス・アートをもって
サイトスペシフィックな作品と言うべきなのであろうか。

「場=作品」であり、そこにおいて仮に場が
消失したのであれば、建築ごと作品であるが故に移動が出来ない、
というだけのものであり、コンセプトとして移動は
いくらでも可能なのものであると言える。

少なくともモネの部屋について言えば、
その空間を築き上げているものは、
彼の絵画を如何に「正しく」機能させるか、という
消失点に向かう意思であり、
あえて直島のあの場所である必然というものは、
絵画の所有者やギャラリーを建築する側の
個人的な由来によるものでしかないように思われる。
それ故に移動可能なサイトスペシフィックと言っていいだろう。

3

そして、デ・マリアの
「タイム/タイムレス/ノータイム」においても、
この場、つまり直島にある必然性というものを
感じる事は出来ない。

宗教的祭壇のような部屋に規則正しく配置された、
幾何形態の羅列に感じる事は、
それらが人の定めた「抽象」という概念の
代名詞であるが故に、「人間の介在」「人工」である。

意味の無いもののトートロジカルな提示によって、
意味の無いものの物理的な存在を確かめさせられる。

意味の分からないと言った方がよいかも知れないが、
ともあれ、鑑賞者との間に作品は目に見えるという、
その一点においてのみ、繋がりを持ち、
意味としての介入不可能、否、介入を禁止された
鑑賞者の脳は、まるで幼児のように、
あらゆるものを、意味を持たないものとして
見る事を強要されるのだ。

それ故にこの部屋を出た後、
次のアーティストの作品展示室にいたる階段や、
その間に見る事の出来る安藤忠雄による、
植物の植えられた四角コートヤードや、
雲の浮かぶ空さえもが、従来のようにただ通り過ぎる事の
出来るものではなくなってしまった。

まるで初めて見る形・初めて見る色、
全てが初めての体験のような不思議さを伴いながら、
背反的に、脳はそれらを再定義を急速に進める。
そうして、それらは意味を明かされぬ、
何かの為に作られた人工物の集積、
という極めて気味の悪い景色を鑑賞者に見せる事となった。
(それを私は悪意の固まりのように感じた)

しかしながらこれとてこの直島に存在しなくては
その効果を発揮し得なかったものであるかといえば、
そうは考えられない。

何らかの理由によってこの作品が直島に必要であるという風に
考えた者が居たかも知れないが、それはまた別の話である。

4

ではジェームス・タレルの作品はどうだろう。
タレルの作品は三点、地中美術館に設置されている。
その内二点は外光を遮断する中での、
光と色による人間の視覚に対しての実験と言え、
純粋で、原初的な驚きをもって鑑賞する事が出来る。

「オープン・フィールド」では包み込む四角い、
「アフラム、ペール・ブルー」では六角形の浮遊する光が
やはりその幾何形態と、光の吸い込まれるような抵抗感の
無さが、観客の感覚の焦点を眼球に集めてゆく。

監視役の(おそらく)アルバイトの
執拗な接近や解説が作品の鑑賞の邪魔になった事は
重ね重ね残念であったが、それを抜きにしても、
これほど色と光だけの何もない空間を、
それも考え事をする為だとかの、
何かの犠牲としてではなく、見つめ続ける経験を
させるだけでも一見の価値があったと言うべきである。

鑑賞者は眼球から侵入して来る光そのものとなり、
自分が個人である事を忘れる。
考えるという機能を働かせる機関が光で埋め尽くされ、
自分でなくなってゆく体験をするのだ。

しかしそうした中でも私達の持つ身体は、
もちろん決してなくなったりはしない。
当たり前の事である。
当たり前の事ではあるが、光と同化した時、
進める足の動き、目の端に映る自身の腕に、
少なからぬ驚きという違和感が備わっている事を
この作品は感じさせ、今まさに身体が
道なる世界への扉をまたごうとしている事に
気づかせる。

やはりこれも当たり前の事ではあるが、
鑑賞者はこの作品の経験を終了する。
重さも温度も距離感すらない光の向こう側の
存在を肌で感じつつ、やはり不自由な
こちら側に戻って来るのだ。

デ・マリアと同じように、
瞬間リセットされた知覚は、あらゆるものを
再発見させるように改めて感じさせ、
さらに、自分の至る所の身体の老いまでも鮮明に
思い知らすのである。

残るのは異世界での不思議な体験であり、
やはり、鑑賞者の日常的な知覚行為との断絶が、
この作品の効果を上げている。

5

一方「オープン・スカイ」でもまた、
四角く真っ白な、天井の高い部屋にぽっかりと
開けられた穴から見える現実の空が、
同じような効果を発する。

私の訪れたのはほぼ快晴と言っていい
良く晴れた昼下がりで、ブルーの
四角い平面が、まるでアブストラクト・ペインティングのように
浮かんでいるがしかし、そこに抵抗感はまるでなく、
吸い込まれるようであった。

白い壁には光源の見えぬ光線が
ギャラリーの形に沿って台形の明るい
形をきっぱりと現わし、どこかデ・マリアの部屋を
思い起こさせる幾何形態に彩られた抽象的な部屋を作る。

鑑賞者は四方の壁づたいに設置された木製のベンチに
腰掛け、思考をストップし、
口を半開きにして、その空間の一部となる。

しかしその真空と言ってよい程の静寂は、
ブルーの抽象空間に流れる一筋の鳥の出現によって、
或いはゆっくりと流れる雲の変容によって突如破られる。

それを境に急速に私の知覚は、周囲の様々な、
小さなざわめきを聞き取り、感じ始めたのだ。
全身の毛穴が開き、知覚はいよいよ鋭敏になり、
そのうちに空の色さえも、ゆっくりではあるが、
確実に、刻々と、変化している、と、
感じている気さえして来る。

溶解していた自分の身体は一気に
自分のもとへと帰って来、しっかりと定着する。

ここで作品はわけのわからない幾何形態でも、
鑑賞者とは切り離された物体でも現象でもなく、
知覚をまさに働かせている鑑賞者本人である事を
直感するのである。

これまで奇妙な異世界との断絶を感じて白雉化して
いた脳が動き出すのを感じる。
これは自分自身が発見した自分の現実の世界なのだと
いう認識が歓喜に変わるのだ。

タレルはこの作品をもって、
地中美術館を偶然この時、訪れた鑑賞者と、
直島の一点に開けられた四角い空、
その瞬間にしかあり得なかった四角い空とを
結びつけ、いまここでしかあり得ないものを、
鑑賞者自身のうちに呼び起こしたのである。

この作品は紛れもなく、
サイトスペシフィック「場=作品」である。
が、しかし、シリーズ化されて、
既に世界の至る所に散在している事実が照明するように、
コンセプトとして移動可能でもあり、
にもかかわらず、タレルはそこ(設置された場所)でしか、
そして鑑賞者一人一人がそれぞれ訪れた
タイミングでしか機能しない装置として、
作品を完成させたのだと私は考える。

そして文字通り「(物理的な)場=作品」でありながらも、
同時に「精神的な場=作品」
つまり「鑑賞者が作品(外界)と出会う場=作品」とした所に
言説に尽くしがたい、
他の作品との差異がそこに生まれ得たのではないか。

余りにも当たり前だが、同じものを見ていても
10人いれば10人それぞれの印象を抱くだろうし、
前提として同じものが同じものと他人も見ているかと言えば、
それは永遠の謎であるというほかない。

世界は変化し続け、また鑑賞者個人もまた変化し続ける。
鑑賞者はアーティストの出した答えを
ただ無条件に受け取る存在ではない。

鑑賞者は鑑賞者自身しか見れないものを常に見て、
感じている故に、作品とは鑑賞者の外側にあるのではなく、
如何なる場合においてでも、
鑑賞者と装置としての現象との間に生ずるものである。

「作品が成立する場」を物理空間の中でのみならず、
人間個人個人の出会いにまで思いを馳せて構築した
「オープン・スカイ」にやっと
サイトスペシフィックという言葉が機能を
果たした思いを私は抱いたが、それはまた別の言葉で語られる
種類のものであるのかも知れない。

-------
もっともこの地中美術館のようにアーティストが自由自在に
ギャラリーの設計から立ち会って建築と作品の融合を
目指す事は非常に稀な例であり、
サイトスペシフィックと言われる多くの場合、
「特定の場所に帰属する性質を持つ」作品の事を指す。
つまり、前提として歴史を持ち、形を持った場所があり、
それに対してのアプローチとして作品が作られ、
設置される事を指すのである。

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地中美術館:クロード・モネ

モネの睡蓮のシリーズが四点設えられている。
正面の壁に1915-26年制作の油彩画「睡蓮の池」
(縦200cm×横300cmのキャンバス2枚組)、
両脇の壁面にはそれぞれ
(左)1917- 19年(100cm×200cm)「睡蓮の池」、
(右)1914-17年(200cm×200cm)の「睡蓮」が設置され、
入り口開口部左に
1916-19年「睡 蓮-柳の反映」(100cm×200cm)がある。

オランジェリー美術館のモネの展示室を手本にし、
純粋に絵画を鑑賞するその一点の目的の為に
あらゆる方法が試されたとされる、その潔癖なまでに
観念に彩られた部屋は、逆にその為か、モネの絵画自体を
私には見にくくさせていた。

表面を保護するために、前面に張られたガラスは、
いくら遠く離れようともそこに映る部屋や他の作品の
反映からは逃れる事は出来ず、全体に薄く不均質に
もやをかけ、近くに寄ったとしても、眼の上に
ものもらいのような不穏な影を落とす。

壁に埋め込まれたキャンバス、大理石の白い額縁、
その隅から隅まで配慮された事の伺える様子は、
逆に、普段は気にもさせぬ細部へと私の眼を誘う。
一本ではなし得なかったのか、数本で組み合わされた
額縁同士の分け目、角の排除された白い部屋の
ペンキの塗りムラ、もはやモネの絵画それ自体を
鑑賞する弊害ばかりにしか私には思えない。

しかしながら、美術鑑賞それ自体が
観念に彩られた代物である事を
これほど決定的に思い知る事の出来る場というのも
他に思い起こす事も出来ない、
極めて希有な場である事だけは確かだろう。

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地中美術館:ジェームス・タレル

ここでは三点のタレル作品があり、
家プロジェクトの作品を合わせれば、
合計四点のタレルの作品を、直島では
観る事が出来る。

まず眼に飛び込んで来るのは、
補助光の抑制された地下の薄暗い
部屋の角に青白い、六角形の形状の光を
プロジェクションした
作品「アフラム、ペール・ブルー」である。

これはタレルの光を用いて制作を開始した
最初期の作品であるが、私にとっては初めての
体験であった。

白く、視覚的にテクスチャーの
極めて希薄なその白い光は一瞬にして、
それが壁に投影されている事はおろか、
如何なる仕組みである事かという思考を停止させる。

歩を進め、角度を変えてみると形を変える、
宙に浮くその光の物体は奇妙な官能的な場所へと誘う。

そして近づいてゆくと、
突如、黒い物体に暴力的に頭を殴られた思いがした。
私は身を仰け反り、その物体の正体を知る。
黒い物体とは自身の影であったのだ。

そうして私はこの作品の経験を終了し、
現実の世界に引き戻された。

私はこの作品の仕組みを事前に
諸メディアによって知っていたにも関わらず、
こうした体験を与える事の
出来るこの作品の持つ吸引性に驚く。

(残念ながら、全ての作品を見終わり、
再びこの作品の前に立った時、
あの衝撃は既に過去のものとなっていたのだが。)

そうしてこの作品について思いを馳せている中、
監視員に呼び止められ、
次の作品「オープン・フィールド」に
誘われ、解説を受け、四角く青い光の中に入る。

その青い光に満ちた部屋の奥にはさらに四角い
穴が開けられ、色身の違う青色の部屋が
まだ存在する事を確かめる事が出来、
奥には無限に空間が広がっているかに見える。

影はほぼ映らず、色によって支配され、
通常のものを見る作法を麻痺させるように、
設えられたらしいその空間は、距離感を失わせ、
眼球に浸食し、包み込む。

(そうして青い光に汚染された中で、振り返ると
入って来た、やはり四角い白いはずの開口部は
真っ赤な光の空間へと変貌している)

ほとんど何が起こっているのかわからないうちに、
それらはなされ、鑑賞者はなすがままに
青い光と同化する。
何かを考える余地などそこにはない。

この経験は決して心地の良いものではない。
強制的に白雉状況にされたその先に、
何かが見えるという事があるのかどうか、
私にはまだわからない。

(ここでもまた、アルバイトらしい監視員は
作品の邪魔にしか働かず、不快。)

「オープン・フィールド」を出て、少し進むと
天井が正方形に切り取られた、壁面の真っ白い、
「オープン・スカイ」の部屋がある。

四角く切り取られた、ツインタワービル崩壊時のように、
抽象的な真っ青な空は、それだけで、傍若無人に
鑑賞者の脳みそをぶっ飛ばす。

ここでもまた、鑑賞者はなすがままに、
白雉的な状況に追い込まれるわけだが、
私はそうして5分、10分と時間を過ごす中、
一筋の鳥が飛ぶのを目撃し、それをきっかけに
この部屋がこれまでの作品とはまったく違った
ものである事を理解する事が出来た。

人の脳の限界点まで追いやり、
見えない未開の地を見せる事に
この作品の目的が在るのではない。

この作品は、そのものを見る鑑賞者の内に
あらゆるタイミングによった一点の奇跡として
感覚とは浮上するものである事を
気が付かせる装置なのだ。

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地中美術館:ウォルター・デ・マリア

ウォルター・デ・マリア自身により、
細部にわたり構想され、完璧なまでに
作品化され、宗教的な観念に満ちた、部屋。
高い天井、部屋の幅いっぱいから延びる階段、
その中腹の踊り場には巨大な花崗岩の球体、
壁には27体の金箔を施した木製の立体
(三角柱・四角柱・五角柱)が三本セットで、
規則的に配置されている。
それはアート作品というよりもむしろ、
新興宗教の祭壇を思わせ、鑑賞者の息を詰まらせる。

ふらふらと動き回る、作品の安全を監視する
美術館のアルバイトは鑑賞に
すこぶる不利に働いてはいたと思うが、
建築と様々の幾何形態が何らかの観念・法則により、
完璧に統制を取られ、配置されている事から、
鑑賞者はその強大な「何らか」の存在を印象付けられる。

この作品を通過し、次の作家の作品に行き着くまでに
出会う安藤忠雄の壁はおろか、時折覗く空、雲、
全てが作り物、嘘もの、虚構の産物であるように映る。

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2007年1月24日 (水曜日)

地中美術館

直島01

香川県直島、ベネッセハウス、
家プロジェクト、及び地中美術館を観た。
それらの一連の作品に
(すべてを一くくりには決して出来るものではないが)
私が事前に得ることの出来た、
巷に溢れる種々様々な情報ソースから、
想像していたものより、
それほど逸脱しているものがあったとは思えないが、
取り分け地中美術館の
あらゆる細部に渡った徹底的なまでの
主催者・ベネッセコーポレーション及び福武總一郎、
建築家・安藤忠雄、そしてアーティスト達の
「美術」への思いはやはり訪れた者にしか判りえぬ、
只ならぬ気配を発していた。

財団法人直島福武美術館財団福武会長曰く、
「あたかも人間の心や精神の大切なところが
表に出ないように」
地中美術館は塩山に埋め込まれ、
外部からはその一部が頭を覗かせているのみであり、
三人の美術作家(ジェームス・タレル、
ウォルター・デ・マリア、クロード・モネ)の
永続的展示の為にその内部設計はなされている。

トンネルのように続く通路。
空は四角く切り抜かれ、不思議の国のアリスのような、
エッシャーのような、完璧な世界に鑑賞者は
安藤忠雄(の建築)によって誘われる。

※ちなみに上の写真は、直島へ行くフェリーから携帯電話で撮影したものだが、直島ではないのであしからず。

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2007年1月21日 (日曜日)

横浜ダンスコレクションR:その2

昨日観たダンスについてもう少し。

僕のやっているような
いわゆるビジュアル・アートとは異なり、
自作自演のダンス作品において、
制作者(演出家)自身の身体が同時に
マテリアルであるという事は、
完全に、そして永遠に、
制作者は自己の作品に対して
鑑賞者足り得る事がないという
事実は面白い。
そしてその側面は音楽よりもずっと強い。

そう考えれば、
自分で踊りつつ、
演出的視点で振付け可能な人もいる
というのは厳密にはウソであり、
そうした錯覚を抱かせる
人物もいるという位の感じだろうか。

そしてやはり、実際には、
例え絵画に対する画家のように、
或いは演劇における演出家のように、
自分の作品の全体を見渡す事の
出来る位置に立っているとされた場合においても、
客観視出来るというのは一つの作法に
則った言い方でしかない。

画家、或いは演出家は一人の観客として
自身の作品を眺める事は出来るし、
自分の好きなように作品を変える事も出来る。
しかし彼等は永遠にそれらを眺める自分以外の
観客一人一人ではあり得ず、
当然、鑑賞者一人一人が、一つのものに対して
同じ感情を抱くということはあり得ない。
自明であるが、他人同士が、
同じものを同じように見ているかどうかは
永遠の謎なのである。

自身で踊りつつ演出的観点をも持つという
言い方が成立するとき、そこには必ず
その言い方が成立する社会の共有する
言語/記号の介在が不可欠であり、
数学の大前提
「“例えば”1足す1を2としてみる」ところに
おいて築き上げられた社会的な信頼、
共同幻想に頼った表現と言える。


「振り付け」という言葉に対して
「インプロ(即興)」という言葉があるが、
振り付けのない即興が自由度が高い、
振り付けのあるものがそれ故に
自由度が制限されているという事はない。

即興という場においても、踊り手の肉体を
振り付けている(規定している)観念と偶然は
存在するはずだし、同時に、
舞台でなくとも全ての人間の営為は
即興であるとも言う事が出来る。

重要なのはいずれの場合でも、
その自分を振り付けている何ものかに対して、
如何なる投げかけをするかという事であり、
表現である以上、鑑賞者にとってそれが何かを
考える事ではないだろうか。

そうした投げかけ、
つまりその舞台を司る方法が、
「制作者の見せたいビジョン
(こうみてほしい)という消失点への疾走」
という事になった場合、
特に自作自演の、或いは即興のダンスにおいては、
制作者は、一ミクロも鑑賞者の立場にはなれない
(どのように表現されているか確認出来ない)
故に、ずいぶんと盲目的で、
刹那的な方法と言わざるを得ない。
昨日観た全てのダンサーに共通する
そうした不安定な表現の有り様は、
鑑賞者をどこに連れて行こうとしているのだろうか。

(無論、演者でありながら制作者(演出家)である道が
そこにしかないなどと言いたい訳ではない)

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2007年1月20日 (土曜日)

横浜ダンスコレクションR:その1

横浜赤レンガ倉庫1号館3Fホールにて、
横浜ダンスコレクションR
“横浜ソロ×デュオ<Compétition>+”を観る。
出場振付家は、ホセ・ジェイ・B・クルス、ヤン・ヨンウン、
太田ゆかり、木野彩子。

変幻自在な振り付け(多く自身による)をこなす
しなやかに鍛え上げられた肉体に
この4組(5人)のダンスのレベルが
高い所にある事は、容易に理解出来る。

しかしいずれのケースにおいても、
表現過多という印象は否めない。

手の、身体の所作、
鍛え上げて来た歴史を垣間見せる
肉体の美しさ、面白さ、
そしてそれらを束ねる全体の物語(コンセプト)が、
それぞれが別個のものとして自分勝手に、
それぞれの意味を拡張して行って、
相殺し、うるさい。

もちろん各々の諸要素は制作者側にとっては
重要な共通項、接点があるのだろうが、
それらは同時に客体として開かれ、さらに
それぞれ偶然をもその都度取り込んでいる。

つまり何を表現するか、ではなく、
表現されてしまうものと、どう付き合うか、
といった思考の欠如を見たのである。

表現されるものとは、
制作者を形成する一部分としての
観念によって統括され得るものではなく、
制作者という一個の存在の
「外界との接点」であり、
その個人を個人と
特定するものなのではないだろうか。

何を表現するか、今、その人が
表現せねばならないものとは何か、
というのをどのように可視なものとして
ひねり出すかという事は、
まず制作する前から、
あるいは本番を向かえるより前に
あるのではなく、
その一つの本番、
そのものが一つの結論として
あるべきであるように思われる。

彼女らのポテンシャルを考えると
ひどくもったいない気持ちになる。

現わされる全てのものに情報は詰まっている。
舞台やギャラリー空間であれば事さらに、
普段、気にも止めない事にも
鑑賞者の視線は注がれる。

流される情報の道筋について考える事。

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2007年1月18日 (木曜日)

往復切符

夕方、唐突な思いつきから、
香川県直島のベネッセアートサイト
来週頭に行く事を決意し、
早速、深夜高速バスの往復チケットを手配した。

もちろんジェームス・タレル「オープン・スカイ」、
ウォル ター・デ・マリア「タイム/タイムレス/ノータイム」等の
いくつかのサイトスペシフィック作品を鑑賞する事が目的だ。

僕は2004年に滞在制作〜発表した、
国際芸術センター青森での作品(fold)からここまで、
モデリングした紙にドローイングしていったものを、
その場特有の空間に設置するといった、
いわゆるサイトスペシフィックな作品を作って来た。

に、も、関わらず、僕はほとんどと言ってよいほどに、
世界のそう呼ばれる作品達とは触れ合わずに
日々を費やして来てしまった。

それは僕の美術家としての怠慢であるにはおそらく違いない。
しかし同時に、どこか、自身の、
物体とその置かれる場との関係性への思いを
先鋭化してゆく為に、それらと出会う事を避けて来たような、
そんな思いもある。

とにかく今日、高松との往復切符を僕は買ったのだ。

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