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2007年1月20日 (土曜日)

横浜ダンスコレクションR:その1

横浜赤レンガ倉庫1号館3Fホールにて、
横浜ダンスコレクションR
“横浜ソロ×デュオ<Compétition>+”を観る。
出場振付家は、ホセ・ジェイ・B・クルス、ヤン・ヨンウン、
太田ゆかり、木野彩子。

変幻自在な振り付け(多く自身による)をこなす
しなやかに鍛え上げられた肉体に
この4組(5人)のダンスのレベルが
高い所にある事は、容易に理解出来る。

しかしいずれのケースにおいても、
表現過多という印象は否めない。

手の、身体の所作、
鍛え上げて来た歴史を垣間見せる
肉体の美しさ、面白さ、
そしてそれらを束ねる全体の物語(コンセプト)が、
それぞれが別個のものとして自分勝手に、
それぞれの意味を拡張して行って、
相殺し、うるさい。

もちろん各々の諸要素は制作者側にとっては
重要な共通項、接点があるのだろうが、
それらは同時に客体として開かれ、さらに
それぞれ偶然をもその都度取り込んでいる。

つまり何を表現するか、ではなく、
表現されてしまうものと、どう付き合うか、
といった思考の欠如を見たのである。

表現されるものとは、
制作者を形成する一部分としての
観念によって統括され得るものではなく、
制作者という一個の存在の
「外界との接点」であり、
その個人を個人と
特定するものなのではないだろうか。

何を表現するか、今、その人が
表現せねばならないものとは何か、
というのをどのように可視なものとして
ひねり出すかという事は、
まず制作する前から、
あるいは本番を向かえるより前に
あるのではなく、
その一つの本番、
そのものが一つの結論として
あるべきであるように思われる。

彼女らのポテンシャルを考えると
ひどくもったいない気持ちになる。

現わされる全てのものに情報は詰まっている。
舞台やギャラリー空間であれば事さらに、
普段、気にも止めない事にも
鑑賞者の視線は注がれる。

流される情報の道筋について考える事。

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