« 制作時間 | トップページ | 分身 »

2007年2月 8日 (木曜日)

地図上の

自身に馴染みのある場所、例えば自宅の近所や旅先の地図を広げ、記憶をたよりに、刺繍によって再びその路地、その風景を散策するアーティスト・秋山さやかの作品について、なんとなくベッドの上で寝転びながら思い出したので、何となく書いておく。

実際の作品は2000年のフィリップモリス・アートアワードの会場で見たのと、平面作家の推薦公募展「VOCA」展、それから確か森美術館「六本木クロッシング」で見たくらいしかないと思う。はじめて作品を見た第一印象で、私にはコンセプチュアル・アーティスト・河原温の《I Went》という作品のシリーズ(日々移動した痕跡をコピーされた地図上に赤線で示していく)が思い出されてしまって、それ以上踏み込んで見るという事はなかった。

秋山さやかの作品は私の知る限り、平面状のものであり、せいぜい数センチ、刺繍等の画材によって盛り上がりがあるくらいであり、移動可能な作品自律型と言う事が出来る。一見して、地図の図柄は制作の過程とコンセプトの鑑賞者への提示、宣言的な形では機能してはいるが、それ以上の意味はないように思われる。それら支持体となっている場所はほとんどの鑑賞者にとっては無数のどこでもいい場所の一つであり、それを本当に親密と感じているのは作者である秋山ただ一人であるからだ。そうした支持体を得る事によって、この制作者は、自らの手でホワイトキューブを獲得したのだろう。

誰にでもわかる方法、つまり制作者にとってだけ重要な意味を持っていて、鑑賞者には関係がない、という制作者と鑑賞者の間にある崖を、地図を用いる事によって、白日の下に曝すという方法で、個人的な体験によるその当人以外には絶対にわかり得ない「思い出」をうねうねとしたカラフルな刺繍という物体に封じ込めたと言えるのではないだろうか。そこで見えて来るものは、おそらく殺人という事以外には誰にも脅かす事の出来ない個人的な意識体験(感覚質)の存在である。

|

« 制作時間 | トップページ | 分身 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 制作時間 | トップページ | 分身 »