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2007年3月17日 (土曜日)

3/17

東京国立近代美術館「リアルのためのフィクション」展、ギャラリー小柳「小川百合」展、ヒノギャラリー「山本糾/QUICKSILVER」展、資生堂ギャラリー「内海聖史/色彩に入る」展を観る。

「リアルのためのフィクション」(2007.3.10-5.27) 東京国立近代美術館
東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、国立国際美術館のコレクションを中心とした、やなぎみわ塩田千春イケムラレイコソフィ・カルの四人の女性アーティストの1990年代の作品を紹介する展覧会。いずれの作家も、この展覧会のタイトルが示す通り、それぞれ作品の実現化の方法として(枠組みとして)フィクションである事、作品が虚構の世界である事を明確化しているように見えるが、やなぎみわのエレベーターの《案内嬢の部屋1F》が群を抜いていたように感じた。

(東京国立近代美術館のホームページ内の“やなぎみわ”紹介文)
『 やなぎみわは、きわめて人工的な空間の中に、物思いにふけるようなエレベーターガールたちを配します。消費空間の中で商品と私たちをつなぐ役割の彼女たちもまた人工的に作られた商品のような相貌を帯びるのです。』

彼女を一躍有名にしたそのシリーズに対し、確かその当時、やなぎみわ当人も似たような事をNHKの「美の朝」とかで話していたような記憶がある。おそらく言葉として表出する以外にも、写真である事、写真合成である事、アートである事、案内嬢に対する思い、様々な動機が(当然の事ではあろうが)作家自身に内包しており、このシリーズに一つの結実を生んだのだろう。

抜粋したような、公にされる「コンセプト」「解説」という名のもとに発せられる言葉は、時にネタバレ的に作用して、作品はチープに、残りカスのように映りがちである。しかしながら、この《案内嬢の部屋1F》には、どんな作者/周りの言葉も撥ね除ける、ある力が存在している事だけは確かであると思われた。

山本糾展「QUICKSILVER」(2007.2.26-3.17) ヒノギャラリー
私が彼の作品を観たのはこれで三回目である。一度目は2002年に東京都現代美術館で行なわれた「傾く小屋」展、二度目は銀座のギャラリーイセヨシ「時間の庭」展である。

山本氏の写真から沸き起こる感動とは一体何なのだろうか。モノクロの写真に今回映るのは、工場からの、白く巨大な、どこか水爆実験の映像を喚起させる排煙達である。それが排煙である事、排煙という物質の持つ歴史性、或いは排煙に対して無意識的に私が抱いていた何かが、私の鑑賞に影響を与えていたのだろうか。展覧会タイトルの「QUICKSILVER」つまり「水銀」は何を意味し、作品鑑賞にどんな効果を与えていたのだろうか。そう、この文章を書きながら、はじめてそんな基本的な部分に意識を及ばせる。

「写真を撮る」という写真家の意思が、紙やら何やらの物質としての様々な媒介物と出会い、そしてその果てで、紙でも作者の思い入れなどでもなく、「写真」の重さ、体温が、ただ、そこでは現象している。そんな気がした。

今更ながら検索するとインタビューが出て来た。
携帯オサルスのおすすめランチ ランチdeチュ」その100(2003)
http://www.gaden.jp/info/2003a/031008/1008.htm

2007_0325_0851
配布されていた、光沢加工を施されたリーフレットも、そのまま重い額縁に入れて飾りたい気分にさせられる完成度。ヤラレタ。

内海聖史展「色彩に入る」(2007.3.9-4.1) 資生堂ギャラリー
新進アーティストの支援を目的に、公募された展覧会プランから三名のアーティストを選出し、資生堂ギャラリーで個展の機会を与える「shiseido art egg」(シセイドウ アートエッグ)の第一回。総応募数650件から選ばれたのは平野薫(インスタレーション)、水越香重子(映像)、内海聖史(絵画)。私が今回観に行った内海聖史展は、この一連の個展最後の展覧会。残念ながら他二名の展覧会は観る事が出来なかった。四月中旬にこの三名の中から「shiseido art egg賞」なる「一番」が決定されるらしいが、比較出来ないのが残念。

内海聖史氏の作品は、サイトスペシフィックであると、会場での配布物には書かれているが、会場との関係は、私にはまったく見出せなかった。巨大な作品と会場の隙間から、大きい印象だった資生堂の会場が、やけに小さく見える。表現のポイント、何をもって表現としているのかが、明確ではないような気がしたが、モダニズム系抽象画を、その象徴であるようなスケールと、装飾的な「美しさ」によって、メタ的に描いているというような事なのだろうか。

とは言え、さすがに長い間、キャンバス(パネル?)と向かい合い、一つの方法論を徹底して来たキャリアを持つだけあって、絵の具の冴えは抜群だ。絵の具が冴えるという事は、造形的に、絵の具のやり取りに心血を注いで来た経験の成せる技に他ならないし、その実直な態度は、目指されている物、消失点の先がたとえ何であったとしても、胸を打つ要素を蓄えて来る。

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