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2007年3月22日 (木曜日)

レディ・メイド

脳科学者・茂木健一郎氏のブログと同者のココログのインタビューで「レディ・メイド作品の募集」をしている。

Fountain
《泉》Marcel Duchamp

「レディ・メイド」とは、英語で「既製品」の意味である。言わずと知れているが、アートにおいてそれは、マルセル・デュシャンが《泉》(便器を作品として提示)などの、通常別の文脈で捉えられ、機能しているものを、アートとして機能させた(させようとした)作品に対して名付けた言葉としてある。このデュシャンの「レディ・メイド」は、アート鑑賞、及び人間の視覚が、一人一人の観念に依拠した存在である事を、学生当時の私に教えた。

デュシャンは「芸術家が使用する絵の具のチューブは製品であり既製品であるのだから、世界中の全ての油絵は〈手を加えたレディメイド〉であり、アサンブラージュの作品だと結論づけなくてはならない。(マルセル・デュシャン全著作/北川研二訳)と語っている。ここから私が発想したのは、と、するならば、画家・鑑賞者双方、個人個人の、「油絵の具」に対して注がれる「視線」もまた既製品と呼ぶ事が可能なのではないかという事だ。

茂木氏が研究し、広めつつある「クオリア」とは、何らかの感覚刺激を受け取った時に生ずる意識体験の内容の事である(参考:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)つまり、たとえばあなたが見た「い林檎」の「」を他の人がまったく同じように「赤い」という風に見ているとは、多分永遠にわからない。いくら言葉でお互いにこの「赤い林檎」は「※※※※という風に赤い林檎」だと了解し合ってみた所で同じ事である。その使っている言葉自体、同じ言葉を同じ言葉として認識しているとは限らない、同じ言葉の指し示す感覚を同じ感覚として認識しているとは確かめ様がないからだ。

人間は、このどこまでいっても他人と共有する事の出来ないであろう主観的体験、つまりクオリアを、生きて来た時間の量だけ体験している。この世にたった一人の自分だけのたくさんのクオリアによって学習した事や、生み出した衝動がいつも個々の歴史の一歩を作って来たのだ。世界には65億7千万以上の個人がいる。つまり65億7千万通りのクオリアが、この瞬間にも体験されていると考える事が出来る。そして、今、この瞬間という「切っ先のクオリア」を体験するのは、過去の無数のクオリア体験によって培われた個である。

私がデュシャンから発想した事というのは、65億7千万の個人は、「切っ先のクオリア」を体験する直前までの過去の無数のクオリアによって培われ、常に「切っ先のクオリア」によって生まれ変わる「変動型既製品」であると言えるのではないかという事だった。

今現在体験されているクオリアの数
《世界の人口》

65億7千万の個人は、65億7千万の「変動型既製品」であり、当然それぞれの仕方で無数の非・自分と接触し、「切っ先のクオリア」体験をする。「世界中の全ての油絵は〈手を加えたレディメイド〉であり、アサンブラージュの作品」であるとするならば、この私達の暮らす人間社会もまた、「変動型アサンブラージュ」であり、一人の人間と同じく「変動型既製品」としてクオリアを体験していく存在と言えるのではないだろうか。

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