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2007年4月 4日 (水曜日)

第一回 田中功起ショー

第一回 田中功起ショー「いままでのこと、さいきんのこと、これからのこと」(2007.3.16-30)
上野の森美術館ギャラリー
http://www.ueno-mori.org/tenji/annex/20070316/index.html

私はこれまで、田中功起氏の作品を特別追って来たわけではないし、おそらく観たのはほんの一部の展覧会に過ぎないだろう。しかし、まさにいま、旬の人気作家だけあって、そんな私でも田中作品の体験は一度や二度ではない。その私の経験上という前提付きではあるが、今回のVOCA展と同時開催の上野の森美術館・別館ギャラリーでの「これまでを振り返る」主旨の展覧会は、田中作品最高のインスタレーションと言わせる説得力を持っていた。

ホームセンターで購入して来たようなDIY用品、机やパイプ椅子などの、散らかし系インスタレーションの中に複数の映像作品をループさせた複数のテレビが配置されているのは、水戸芸術館での「マイクロポップの時代:夏への扉」展出品作とほぼ同様であり、この作家の常套句でもある。一つ一つのビデオは、日常的な物を主人公として、その存在の在り方や働き、物同士の現象の仕方そのものを、次々に映し出している。まさに1970年代に花を咲かせたモノ派のごとき表現を繰り返すというものである。私の解釈したモノ派とは、見知った現象を取り出して「同語反復するだけ」の表現であり、実際作品を前にしても、何の驚きも発見も見出せたためしがなかった。同様に、これまで田中功起氏の映像作品を観ても、モニターの中で次々に起こるような日常の現象が面白い事は、少なくとも私にとっては知ってる事であった。それ故にこれまでの田中氏のモニターに映るそれら現象は、散らかされたインスタレーションと共に、既知の面白さをわざわざ啓蒙するかのごとき作品と、私には見えていたし、それ以上の示唆があるとは到底思えなかった。しかしながら、今回の上野の森美術館でのインスタレーションは、その考えを一から改めなくてはならない必要を私に迫って来たように思う。

複数のモニターが何故必要だったのか。複数のモニターに映し出される映像の関係性。散らかされたインスタレーションの意味。

▼美術評論家:峯村敏明氏によるテキスト【「モノ派」とは何であったか】
(鎌倉画廊ホームページより)
http://www.kamakura-g.com/KG-html/monoha-page/monoha-what.htm
▼Dialogue:美術館建築研究[5]アートの現場から[3]田中功起+青木淳
http://tenplusone.inax.co.jp/dialogue/dialogue005/dialogue5_1.html

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