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2008年8月の10件の記事

2008年8月29日 (金曜日)

所沢の雨

先日、今回の展覧会での雨を危惧したエントリを書いた事から、何人かの方々より心配のメールを頂きました。現在のところ雨漏り〜浸水防護策が功を奏していて、連日の突発/断続的な豪雨にも負けず、作品は無事です。ご心配おかけしました。取り急ぎご報告まで。

展覧会は無事27日にオープン〜まだまだ好評開催中です!!またこのブログでも報告します。 (下写真:展覧会場入口より/初日)Tbp2

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2008年8月26日 (火曜日)

二つの設置

所沢での展覧会搬入終了。幸いな事に雨漏り/浸水は今のところないものの、連日の雨による急激な湿度の上昇で作品の紙がやたらとしっとりとしていて不安をあおられるが、まあ、これもまたこの特殊な展示会場(旧工場)ならではの出来事だろうと肯定的に。

先日の土曜日には、とあるコンペ参加の為に群馬・高崎へ作品設置に行って来た。所沢ビエンナーレ・プレ美術展に出品する作品と同じシリーズ(同手法/同サイズ)一点をまったく異なる環境、まったく異なるやり方で展示。所沢は工場跡、群馬は美術館。所沢は床置き、群馬は壁に。その他いろいろいろ。同じシリーズとは言え同じシチュエーションでもまったく違う“あらわれ”に自分でもビーックリした経験があるけど、環境の違いでここまで、ここまで印象の異なるものか、と感心一入。

作品の運び込みは宅配でお願いしていたのだが、手違い、というか不手際(!?)で予定より大ーーーーーーーーーーーっ幅に遅れたにもかかわらず、忍耐強ーーーっく付き合ってお手伝いをしてくれた二人に感謝!


やー、ま、疲れた。寝よう。

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2008年8月21日 (木曜日)

掃除の効用(2)

べつにキレイ好きを自称したいわけでも、実際そんな言うほどキレイ好きなわけでもない。でも、埃ってぇーヤツが嫌いだ。

ヤツは目にモヤモヤをつくってその奥にある物を見えなくするし、埃自体マジ見えないものって言ってもいい。や、もちろん降り積もって溜まってる状態は、そして今展覧会の搬入設置作業で前回のエントリから問題にしてる状態も、広範に渡る面積と厚みを持った物質としてしっかりしっかり網膜に移り込むけれど、誰も埃を埃以上の物として見ないし、何かそういう(どういう?)研究をしている人でない限り、埃を分類しバリエーションを見ようなんて奇特な人はいない。見えてても見えてなくてもどうでもいい存在、誰も埃の個性を見ようとしない、と、いう意味で埃は目に見えない。

「埃」という言葉、或いは「埃」というイメージに対して人の持つ引き出しは極めて少ない。汚い。古い。灰色。普通“霞”としてしか埃は存在しない。要するに、というか、だから、というか、ヤツは強すぎる不透明な象徴性を常に人に押し付ける。汚い。古い。灰色。一般に、埃の奥に間違いなく潜在する物を(存在している事を知りつつも)素通りする事っていうのは一つの習わしになっている。

ぬいぐるみ トトロ あなただけの トトロのなかま ワサワサ まっくろくろすけ以前もこのブログで書いたが、今回展覧会を行なう会場はちょーっと風変わりな建物で、もともと電車の整備工場だった場所である。古い大きなその内部には想像の追いつけないたくさんの記憶の詰まった傷があり、私の展示するスペースには大きな北窓が二つ、並んでいる。しかしながらやはりそれら全てにはしっかりぴったりがっちりべっとりヤツが鎮座してやがってて、まったくもって鼻持ちならない。

人によっては奴らをして「歴史を感じる」なんて言うかも知れないけれど、何もアテになるもんじゃない。埃は霞としてモヤモヤとしか機能しないし、一体どう、何の歴史を感じれば良いのか皆目わからない。

だから清掃って仕事は潜在する建築やいろんな傷の歴史を洗い出す事にもなる。別にカンっぺきに駆除しなきゃダメとかって事はないし、そのキレイさの度合いによって洗い出しにどんだけ差異があるのかと言うとそんなにないと思うが、大事なのはヤツに汚染を許さない、目に霞を許さない、見る事を邪魔させない事だ。

まっくろくろすけは良いけどね。

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掃除の効用

ワルツほうきM&文化ちりとりセット所沢ビエンナーレ・プレ美術展会場(旧工場)にて自分の展示範囲を清掃。今回の展覧会では事前に会場を視察出来る回数に限りがあったので、あまり具体的に想像していなかったのだが、けっこうきったない。工場として使われていたというだけではなく、すき間風やすき間水(台風などによる浸水)と床にこびり付いた黒い油染みによって泥が固まり表面からは止めどなく砂土がサラサラザラザラ産出される。

もちろん全ての場所を100%に近い割合で清潔にする事が目的ならばバイトを雇い、強力掃除機バキュームでガーガーズンズン吸い取って、水をぶちまけカッパキで丸洗いという手段が適当、そうすべきだろう。しかしある程度に清潔である事は重要だが、この僕の展覧会場作業における目的は清潔にする事だけにあるわけではないので、とにかく一人でほうきを両手に握って淡々と動き続けた。(グループ展である故に、他のアーティストの場所との差が広がり過ぎるのもまた問題だ。)

疲労を考えれば、1〜2人お手伝いさんが欲しかったっていうのも本音ではあるけど、「トリック」の上田教授なら「手間のかかる事を」と眉間に皺を寄せてきっと言うだろうこの奇妙で面倒くさい作業を、こちらがさして気を使わずに恊働してくれる人はこの土壇場では見つかりそうにないし、やはり一人で時間をかけてというのがよりよいと思っているから仕方ない。さっそく親指と人差し指の間に新しい水ぶくれが出来て潰れた。

掃除するって事はその対象となる空間の面積の広さを知る事だ。床を隅から隅までほうきで湛然に掃き、壁の埃を出来る範囲落とす。汚れているから一ところ一度さらっと触れた程度では収まらない。何度も何度も掃いてはちりとりを傾ける。そうしてゆく事で、図面やメジャーでの採寸では図る事の出来ない、そこにある空間がどういう広さを持った、どういう光の届く場所であるのかを徐々に徐々に身体で知る事が出来るのだ。

旧知のセンチだとかインチだとかっていう尺度は確かに便利な場所を知る手段であるが、それはあくまである頭の中で想像をする手だての一つでしかないし、いっつもいっつもそうした表記し得る尺度を意識して身体を動かし、生活を送っているわけではないので、肉体の感覚とのズレがどうしてもある。それも驚くほどの大きさで。

さらに丸一日、ないし複数日の間、掃除っていうあまり変化のない単調な動作の繰り返しを行なう事は、単調であるがゆえに同じ精神的、肉体的な関わりとして、その場に降り注ぐ光や湿度、空気の移り変わりを感じ取ることが可能になる。

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2008年8月18日 (月曜日)

ポーニョポーニョポニョ♪

やばい、いやべつにやばくないか、でもこの感染度は、、ラジオで一回聞いただけの(しかもサビだけ)「崖の上のポニョ」の主題歌が耳から離れないっていうか口から離れない。。気がつくとポーニョポーニョポニョいつ見れっかなぁ・・

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2008年8月16日 (土曜日)

展覧会【所沢ビエンナーレ・プレ美術展】のお知らせ

この夏、8月27日(水)〜9月12日(金)の会期で、埼玉県所沢市、西武鉄道旧所沢車両工場で開催される「所沢ビエンナーレ・プレ美術展【引込線】」に 参加します。近年、アーティスト・イン・レジデンスによる多くの海外滞在の為、およそ三年ぶりの日本国内での発表となります。ご覧下さい。

Tokorozawa_tirashi

{参加アーティスト}
中山正樹、戸谷成雄、遠藤利克、伊藤誠、高見澤文雄、多和圭三、建畠朔弥、大友洋司、岡安真成、木村幸恵、窪田美樹、増山士郎、手塚愛子、水谷一、山下香里、山本糾

■展覧会名:所沢ビエンナーレ・プレ美術展 引込線
■会場:西武鉄道旧所沢車両工場(〒359-1124 埼玉県所沢市東住吉10-1)
※西武新宿線または西武池袋線にて所沢駅下車、西口より徒歩2分。お車の方は、駐車場の用意はございません。(隣接する有料駐車場をご利用ください)
■会期:2008年8月27日(水)〜9月12日(金)(会期中無休)
■開場時間:午前10時ー午後6時
※台風や地震などの不可抗力により、予告なく内容の変更や会場を閉鎖する場合があります
■入場料:無料

※下の地図「そごう西武所沢センター」と記載されている場所が会場になります。

■公式ホームページ:http://www.tokorozawa-biennial.com
■お問い合わせ:
TEL) 080-3537-3021 / Eメール) t.endo@wind.ocn.ne.jp 

■企画概要(所沢ビエンナーレ・プレ美術展フライヤーより)

「所沢ビエンナーレ」は、2007年霜月、所沢市にゆかりのある美術作家数名の発案により始動いたしました。

発足当初からの主旨は、「表現者の原点に還って作品活動のできる場をつくること」でした。なぜなら、表現者といえども、刻々とかわる時代状況や美術思潮の変遷から無縁ではなく、そうした意味で、現在こそまさに、表現の純度、表現の強度を保つことの困難な時代状況にあると思われたからです。

その要因のひとつは、バブル期以降の美術をめぐる経済の肥大と衰弱。そしてその波の中で、多くの美術家や美術館員が指針を見失っていったこと。もうひとつは、その自己崩壊のなかで、美術思想は衰弱し、逆に、それに反比例するかのように、美術作品の極端な商品化、状況のコマーシャル化が進行していったことにあります。

たとえば、秋葉原風俗を背景にした一連のフィギュア・ポップもその一つといえますが、その凍りついたような人工性と一面性と表層性が、無差別殺傷事件に象徴される、深層からの逆襲を招いたといえます。美術思想とは本来、表面から闇に向かって垂直に下りてゆくパースペクティブを獲得する知であったはずですが、闇を欠いた表層の美術とその周辺は、皮肉にも闇の側に飲み込まれることになったのです。美術が今取り戻さなければいけないのは、表層の快楽ではなく、闇を含めた存在の全体性の回復なのだと思います。そして、今それをなしうるのは、ギャラリーでもなく、美術館でもなく、作家自体の行動なのだと考えます。

このような経過の下、私たちは今年、自主企画展「所沢ビエンナーレ」・プレ美術展「引込線」を開催することになりました。また、参加者は美術家だけに限定されるべきではなく、美術批評家をはじめ、美術館員、美術教師、学者、思想家といった、美術を構成するすべての成員に、私たち美術家と同じ立場で参加して頂くべきだということになりました。

そうした意味も含めて、この展覧会は、前例に無い、画期的なものになるだろうと考えます。
「引込線」という展覧会のタイトルには、美術に係わるものの覚醒した意志を引き込む、吸引力のある磁場をつくり出したいという、作家側の切なる意図が込められています。

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時間の上に

今度八月末より作品を出品する展覧会の会場は、もともと工場であった仕切りのまるでない広大な面積を内部に持つ“いわく”のたんまり詰め込まれている感じの(実際そうだろう)とても魅力的な建物で、通常の美術館やギャラリーなどと言ったいわゆる「美術作品を展示する為に設えられた場所」ではない。

私はアメリカを中心とした7つのアーティスト・イン・レジデンスの経験からそうした場所、つまり美術作品が存在する事をあらかじめ保証された空間ではない元来それ以外の目的を持って建造され使用されて来た場所で作品を披露する、存在せしめる事には慣れている、というかそのような事について長く考えて来た。それはよい。

しかし「美術作品を展示する為の場所ではない」とは場合によって、いわゆる美術作品と呼ばれる多くの“物理的物体”にとって不利な環境である可能性がある。それはまさに今回がそうで、既に出来上がったポスターにも

【台風や地震などの不可抗力により、予告なく内容の変更や会場を閉鎖する場合があります】

と注意書きを見ることが出来るが、さらに二回目の展示現場視察の折りには

「大雨が降ったらどこから雨漏りがあるかわからない」

旨知らされた。見ると壁のいくつもの不自然な箇所から眩しい外光が漏れ入って来ていた。“穴”が空いているのだ。

私の作品の多くの主素材は紙であり、今回出品を予定する作品もまたまたしかり。雨に弱い。風に弱い。雨が吹き込み作品に影響すると思われる範囲の壁穴は当然塞ぐとしても、どこから来るとも知れない雨漏りに完全に事前対応出来るとは思えない。いや10メートルを優に越す高さの天井そのものに対しては、いかなる策も用意出来ないかも知れない。もちろん降水量が年間で一番多い九月と言っても可能性として台風も大雨もなにも訪れない、雨漏りが生じてもまったくもって影響ない場所に落ちて来る、そういう場合もあり得るし、希望も期待もある。しかし・・。

物理的肉体を持ったどんな美術作品もいずれは朽ちる。原則的に永遠な物体というものはなく、時間の経過上にあっていかなる物質の状態も変化をし続ける。そのいずれは朽ちる“物体”が時間軸上にどれくらいの期間存在すべきか否か、或いは物体の状態の変化変容そのものは、基本的に私の作品の《表現》に(作品のコンセプトに)関係ない。今のところ。それは、作品というものが時間軸上に生じ、現象し、存在するその「キラメキそのもの」に、私が重要性を見出しているからに他ならない。

しかし他方、《表現》とは他者の目に触れて初めて「表に現わされた」もの(表現)になるのもまた道理で、それには時間軸上に少なからぬスペースを確保せねば実現しない(展示出来ない)のも確かな事である。ここで作品の実現にあたり背反するかに見える方針が生まれている事に気づく。後者、時間軸上に表現の為に少なからぬスペースを確保する事“保存”と、前者、生じ、現象し、存在する「キラメキそのもの」に重要性を見出す私の作品に対しての意志、作品の在り方である。と書いたところでこの両者間には優先順位が明確に存在する事がわかると思う。つまり《表現》を特化し、《表現》に従属する“アーティスト”である私にとって、この今回の場合の作品という物理的肉体の“保存への欲望”はいわば邪念とも言うべき代物なのである。もちろん後者(保存)はしっかりと考慮を継続すべき重大事だが、決して前者(表現)を干渉してはならない。

それにしても私のこの紙による作品、そして今計画しているインスタレーション(設置)は、あの展示会場(旧工場)の環境にはあまりにも危うい。予期される災害に対し当然出来得る限りの防護策は取る。が、出来得る限りとは・・囁きを重ねるしかない。

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2008年8月 9日 (土曜日)

入道雲

Nnn_2 この季節特有の強烈な光線にジリジリと身を焼かれ歩いていると、もくもくもくもく入道雲の目の前にいた。そのあまりの見事さに崩れ乾いたじゃりじゃりの駐車場と平屋の住宅の並びに挟まれてしばらくホケーっと立ち止まって眺めていると、僕には感じる事の出来ない風に吹かれて、僕とおんなじ太陽に照らされて、入道雲はあったり前に姿を変えてゆく。徐々に徐々に刻々と。

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2008年8月 7日 (木曜日)

蝉の音、晴れ、とどのつまり

Aaa_2 眠い。

見た事のない風景を、見た事のあるたくさんの記憶を組み合わせ、体験として想像する為には、目を閉じていては脳の空間はあまりに狭過ぎて、平面的で、困難だという事。両目を開いて現実に目に見える世界を脳の空間の延長として、むしろ脳として、想像行為の実行空間として捉える事。

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2008年8月 5日 (火曜日)

勇気が必要

今日は所用で昼前から今まで外出先で脳みそを使っていたので、これから制作作業開始。今日は、などと毎日ブログエントリを書いているわけでもないのにかかさず日々記しているかのように書いた事に特別な意味があるわけではないが、珍しくも一日中冷房の下にいた為に肩にも腰にも重いものがおぶさっているので、エイヤヤっと景気付けエントリしてみている。そうやってこうやって宣言してみたりいろんな事で自分を追いつめる事が、制作に駆り立てる事が必ずしも制作や作品にとって良く働くわけではないとは思うが(必ずしも悪く働くわけでもないと思うが)、追いつめないと駆り立てないと立ち上がれない時もある。制作には一種勇気が必要。ささっやるぞーー!!(笑)

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