時間の上に
今度八月末より作品を出品する展覧会の会場は、もともと工場であった仕切りのまるでない広大な面積を内部に持つ“いわく”のたんまり詰め込まれている感じの(実際そうだろう)とても魅力的な建物で、通常の美術館やギャラリーなどと言ったいわゆる「美術作品を展示する為に設えられた場所」ではない。
私はアメリカを中心とした7つのアーティスト・イン・レジデンスの経験からそうした場所、つまり美術作品が存在する事をあらかじめ保証された空間ではない元来それ以外の目的を持って建造され使用されて来た場所で作品を披露する、存在せしめる事には慣れている、というかそのような事について長く考えて来た。それはよい。
しかし「美術作品を展示する為の場所ではない」とは場合によって、いわゆる美術作品と呼ばれる多くの“物理的物体”にとって不利な環境である可能性がある。それはまさに今回がそうで、既に出来上がったポスターにも
【台風や地震などの不可抗力により、予告なく内容の変更や会場を閉鎖する場合があります】
と注意書きを見ることが出来るが、さらに二回目の展示現場視察の折りには
「大雨が降ったらどこから雨漏りがあるかわからない」
旨知らされた。見ると壁のいくつもの不自然な箇所から眩しい外光が漏れ入って来ていた。“穴”が空いているのだ。
私の作品の多くの主素材は紙であり、今回出品を予定する作品もまたまたしかり。雨に弱い。風に弱い。雨が吹き込み作品に影響すると思われる範囲の壁穴は当然塞ぐとしても、どこから来るとも知れない雨漏りに完全に事前対応出来るとは思えない。いや10メートルを優に越す高さの天井そのものに対しては、いかなる策も用意出来ないかも知れない。もちろん降水量が年間で一番多い九月と言っても可能性として台風も大雨もなにも訪れない、雨漏りが生じてもまったくもって影響ない場所に落ちて来る、そういう場合もあり得るし、希望も期待もある。しかし・・。
物理的肉体を持ったどんな美術作品もいずれは朽ちる。原則的に永遠な物体というものはなく、時間の経過上にあっていかなる物質の状態も変化をし続ける。そのいずれは朽ちる“物体”が時間軸上にどれくらいの期間存在すべきか否か、或いは物体の状態の変化変容そのものは、基本的に私の作品の《表現》に(作品のコンセプトに)関係ない。今のところ。それは、作品というものが時間軸上に生じ、現象し、存在するその「キラメキそのもの」に、私が重要性を見出しているからに他ならない。
しかし他方、《表現》とは他者の目に触れて初めて「表に現わされた」もの(表現)になるのもまた道理で、それには時間軸上に少なからぬスペースを確保せねば実現しない(展示出来ない)のも確かな事である。ここで作品の実現にあたり背反するかに見える方針が生まれている事に気づく。後者、時間軸上に表現の為に少なからぬスペースを確保する事“保存”と、前者、生じ、現象し、存在する「キラメキそのもの」に重要性を見出す私の作品に対しての意志、作品の在り方である。と書いたところでこの両者間には優先順位が明確に存在する事がわかると思う。つまり《表現》を特化し、《表現》に従属する“アーティスト”である私にとって、この今回の場合の作品という物理的肉体の“保存への欲望”はいわば邪念とも言うべき代物なのである。もちろん後者(保存)はしっかりと考慮を継続すべき重大事だが、決して前者(表現)を干渉してはならない。
それにしても私のこの紙による作品、そして今計画しているインスタレーション(設置)は、あの展示会場(旧工場)の環境にはあまりにも危うい。予期される災害に対し当然出来得る限りの防護策は取る。が、出来得る限りとは・・囁きを重ねるしかない。
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