掃除の効用(2)
べつにキレイ好きを自称したいわけでも、実際そんな言うほどキレイ好きなわけでもない。でも、埃ってぇーヤツが嫌いだ。
ヤツは目にモヤモヤをつくってその奥にある物を見えなくするし、埃自体マジ見えないものって言ってもいい。や、もちろん降り積もって溜まってる状態は、そして今展覧会の搬入設置作業で前回のエントリから問題にしてる状態も、広範に渡る面積と厚みを持った物質としてしっかりしっかり網膜に移り込むけれど、誰も埃を埃以上の物として見ないし、何かそういう(どういう?)研究をしている人でない限り、埃を分類しバリエーションを見ようなんて奇特な人はいない。見えてても見えてなくてもどうでもいい存在、誰も埃の個性を見ようとしない、と、いう意味で埃は目に見えない。
「埃」という言葉、或いは「埃」というイメージに対して人の持つ引き出しは極めて少ない。汚い。古い。灰色。普通“霞”としてしか埃は存在しない。要するに、というか、だから、というか、ヤツは強すぎる不透明な象徴性を常に人に押し付ける。汚い。古い。灰色。一般に、埃の奥に間違いなく潜在する物を(存在している事を知りつつも)素通りする事っていうのは一つの習わしになっている。
以前もこのブログで書いたが、今回展覧会を行なう会場はちょーっと風変わりな建物で、もともと電車の整備工場だった場所である。古い大きなその内部には想像の追いつけないたくさんの記憶の詰まった傷があり、私の展示するスペースには大きな北窓が二つ、並んでいる。しかしながらやはりそれら全てにはしっかりぴったりがっちりべっとりヤツが鎮座してやがってて、まったくもって鼻持ちならない。
人によっては奴らをして「歴史を感じる」なんて言うかも知れないけれど、何もアテになるもんじゃない。埃は霞としてモヤモヤとしか機能しないし、一体どう、何の歴史を感じれば良いのか皆目わからない。
だから清掃って仕事は潜在する建築やいろんな傷の歴史を洗い出す事にもなる。別にカンっぺきに駆除しなきゃダメとかって事はないし、そのキレイさの度合いによって洗い出しにどんだけ差異があるのかと言うとそんなにないと思うが、大事なのはヤツに汚染を許さない、目に霞を許さない、見る事を邪魔させない事だ。
まっくろくろすけは良いけどね。
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