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2008年10月19日 (日曜日)

テーマがないとは

大日本印刷の運営するアート情報サイト「アートスケープ」の“フォーカス”(2008/10/15)欄に今年の秋に多数開かれている、アジアの国際展(ビエンナーレ/トリエンナーレ)についての市原研太郎氏(批評家)によるレビューが掲載されている。

artscape:フォーカス:テーマと大衆──2008年アジアのビエンナーレを観て(市原研太郎)
http://www.dnp.co.jp/artscape/exhibition/focus/0810_01.html

2002年の「ドクメンタ11」のディレクターを務めたオクウィ・エンウェゾー氏がアーティスティック・ディレクターとなり、“テーマなし”と明言された今回の第7回カンジュ・ビエンナーレは、市原氏によれば、たいそう素晴らしいものであったらしい。以下少し長いが引用しておく。

エンウェゾーは、記者会見で、テーマを決めることが鑑賞者の見方を制限すると語っていたのを思い出したのだ。勿論、展覧会のテーマを明確にすることで、テーマに即して表現の意味を掘り下げ、作品をより深く理解することが可能となる。私は、これまでビエンナーレを鑑賞するとき、このテーマ性を理解と評価の重要なポイントとしてきた。展覧会のテーマが、われわれの生きる世界に、どの角度でどう切り込んでいるのか。その新しさや強さや鋭さを、展覧会の成否を判断する材料にしてきたのだ。他方で、それに見合う作品が十分に確保されたかどうかで、展覧会の充実度は測られる。
 そうであればこそ、今回のビエンナーレはさほど高い評価を付与されないはずなのに、反対の判断を私に下させたのは、まったく矛盾しているようだが、まさに「テーマがない」からだった。それがないことで、観客の見方が限定されない。個々の作品を、どう解釈しても構わないのみならず、エンウェゾーが言うように、観客は出会う作品が何であるか、つねに意識を開かれた状態にしておく必要がある。その結果として、テーマを設定しないことによって生じる作品の多様性が、高評価につながる理由になったのである。次にどのような作品が目前に現われるのか、会場を回りながらなんとなく期待している自分自身に、私は気づいた。その多様性は、ひとつの視点に縛れないことによって帰結する多様性である。特定の視点が許す範囲の「寛容」という名の限られた多様性ではない。
 今ビエンナーレでは、そのための3つの工夫(作品選出の仕方が異なる「On the Road」「Position Papers」「Insertions」と名づけられたセクション)が企画の段階で練られているが、いずれにせよ、優れた作品群が会場に置かれたことに変わりはない。それらのほとんどが、社会的、政治的問題を扱ったシリアスな内容だったが、外見や形式としても完成度が高かったのだ。カンジュは、エンウェゾーの力量と趣味のよさを証明するビエンナーレだったといって過言ではないだろう。

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