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2007年4月29日 (日曜日)

君はコーラリアンを知っているか

このブログをはじめて三ヶ月が経つ。それは私の美術作品の制作を中心とした生活の中でのメモ、覚え書きという側面を持つが、かと言ってそれらが、生活の中で感じ、覚えておきたいと思った事すべてであろうはずもなく、また、すべてが覚えておきたいと感じた事であるわけでもない。

そしてそれ(このブログ)は、私の生み出した作品に対しての解説的な役割といった側面を持つが、やはり、作者である私が解説しようと試み、一見それがすべてとばかりに解説された言葉達が、当の作品そのものであるわけがなく、また、絵画を制作する私が私自身作品であるわけはもちろんなく(仮に私自身が作品であったとしても、で、は、あるが)作品について知っている事(解説)は、ある事象に対して複数人があーだこーだと感想を述べ合っている中での一つくらいのもので、恣意的なものであると言わざるを得ない。

ただ、「ブログをつける」という行為を意識する中でしか生じ得ない、文章を書く独特の緊張感(または弛緩したノリ)があって、そこでもって文章を書いていく事で、私にいったい何が出来るのか、あ、る、い、は、何か出来るのか、という事が私は知りたいのである。

自分の作品と、自分の文章、その関係について考える中で、アニメ【交響詩篇エウレカセブン】の最新鋭巡洋艦月光号の乗組員(ゲッコースステイト)、フリーカメラマン・ストナーの台詞を思い出したので、ちょっと長いけど引用する。

現象と心象 私の名前は観察者。現象と心象の中間に位置する存在。あらゆる自然現象は何者かによって観察されねばその事象が記録される事はない。私の名前は観察者。あらゆる現象は私のような中間に位置する者の目によって観察される事でのみその存在を未来に残す事が出来る。 君はコーラリアンを知っているか。 コーラリアンと呼ばれる存在について、我々が語れる言葉は少ない。誰もがそれをまるで幽霊か化け物のように語る。しかし実際は、いずれにも当てはまらない。コーラリアンを前にして我々の持つ語彙は圧倒的に少ない。 君はコーラリアンを知っているか。 もし我々に今の我々以上の語彙が備わったとして、しかし、きっと我々にはそれを表現出来ないし、その感じ取った事を分かち合う事さえも出来ないであろう。我々はコーラリアンの前では圧倒的に無力だ。 我々は言葉を持たないに等しい 言ってしまえばそれは砂漠の蟻が大空の先にあるものを語るに等しい。しかし伝わらないからといって、表層だけを語り、本質から逃げるという行為に満ちあふれたこの世界で、それにのっとって言葉を紡ぐ事に、いったいどれだけの価値があるのだろうか。伝わらないなら、伝わる努力をするべきだ。その努力をしたくないのなら、永遠の沈黙を持ってこの場から立ち去るべきだ。それを彼らは証明していた。 大波を待つライダー達にとって、そこに存在している事が全てを言い現わしていた。全ては体験を通して語られる。既に用意された安易な言語でしか表現出来ない彼らは、その安易さの下に持ち合わせた深い真実によって、それをあえて言葉として表現する。何を語る。真実を。しかしそれはあまりにも浅い言葉でしかない。それを人は陳腐な言葉の羅列として蔑むであろう。しかし真実など誰がわかる。目の前で起こった現象に対して高尚な言葉で語る事、それこそがその現象を矮小化させている。現象は現象でしかない。現象を語るには現象になるしかない。しかし我々は現象そのものになる事は出来ない。現象は我々以外の所にあり、我々以外の所から発生するものであるからだ。 そうなのだ。現象は俺達がいなくても起こる。ただそれを目撃した者達には何かを残す。それがその者達にとって傷となるのか、はたまた糧となるのか。それすら波には関係がない。
(アニメ【交響詩篇エウレカセブン】第十四話『メモリー・バンド』より引用)

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▼交響詩篇エウレカセブン(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
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